大宇宙の神秘に触れて

世界中が混乱している時でも、大宇宙は廻っている。 私達の苦難や悩み苦しみなど知った事ではない。 しかしこの大宇宙の神秘にひととき目を向けてみると畏怖の念と、改めて地球は何と美しい星なのだろうかと。 他に類をみない美星である。 豊かな自然の中で自然と共に生きるべきだった人間は 文明社会を作り結果的には為政者の僕となって生き続けている。なんともこの美しい星に似つかわしくない方向に進んでいる現代社会。しかし、生ある限り生きて行かなければならない。楽しく強く、生まれてきた理由を探しながら。

唯一無二 比類なき人

中村哲さん。僭越ながら、長きに渡り先生のプロジェクトを見守り貢献させていただいた事に改めて感謝致します。 先生の、み言葉は、たくさんありますが、私はこの言葉を一生忘れずに残りの人生を共に生きて行きたいと思います。

【私達は幸いな事に、とても小さな出来事に幸せを感じる事ができるのです。】. 中村先生の、この沢山の意味を含む言葉の中に全ての生きとし生けるものへの愛を感じました。 狂宴の中で幸せを見つける事はできません。愛を感じる事はありません。大切なのは、すぐ隣にある幸せを幸せだと感じる事ができて、初めて愛を知る事になると私は受け止めました。 中村先生の偉業は、プロジェクトの成功のみではなく、一部の日本国民とアフガン国民の心を癒し啓蒙した、偉業は偉大な事であります。 私は先生が去ってしまっても、先生の意志は多くの人々により引き継がれ事業も引き継がれて行きます。そこには先生の姿は無くとも先生の精神は限りなく存在し続けます。 美しい蝶を見る時、 小鳥の囀りの中に、 そよぐ風の香りに、 先生の存在を感じて生きます。 本当に有難うございました。

Mr. Tetsu Nakamura. While Banetsu I would like to thank you again for being able to watch and contribute to your project for a long time. There are many words from Tetsu Nakamura, but I will never forget these words for the rest of my life. [Fortunately, we can feel happiness in a very small event. ] Mr. Nakamura’s words, including these many meanings, felt his love for all living things. People cannot find happiness in a feast. People don’t feel love. The important thing is that I can feel the happiness right next to me happily and know that I know love for the first time. The feat of Tetsu Nakamura is not only the success of the project, but the feat that healed and enlightened the hearts of some Japanese and Afghan people is a great thing. Even if Mr. Tetsu Nakamura leaves, your will be inherited by many people and the project will continue. Even if you are not there, your spirit will continue to exist. When I see a beautiful butterfly A refreshing breeze in the midst of a small bird I feel your presence and live. Thank you very much.

2012年からのブログはこちらから

http://miyukitto777.livedoor.blog/

ギャッベ  I LOVE !!

私の愛するギャッベという絨毯。

そして静物としての意識を伝えたい。

その他、  メインは etc… etc!

遊牧民の手織り水平機による制作風景
糸撚りとこれからの手紡ぎの準備
イランのどこかのチァイハネ。
イランのどこかの裏通り。
制作途中のカシュガイ絨毯。
山岳の中で制作中のキリム。
ペルシャの代表的な料理。チキン・羊の
キャバブとサブジ。

絨毯を敷きこなす

ペルシャ絨毯や敷物全般に関しての知識は充分お持ちのお客様と既に絨毯を幾つも 敷いていらっしゃるお客様にちょっとしたご提案をしてみます。

筆者はファッション業界で長きに渡り服を着こなす事を生業としていました。

服を着こなす。絨毯を敷きこなす。

これはかなり共通する面があり、私的な想いの産物だけではないと思っています。

洋服の場合もサイズや似合う色彩、好みや冒険心が必要です。

絨毯を敷きこなす場合も洋服と同じでお部屋のサイズや家具とその他のインテリとのバランスはとても重要です。

そんな事はとうに分かっていますよ。

ですね? 笑

そこでワンポイントアドバイスです!

ばっちり合わせすぎなお洋服の組み合わせ、絨毯ならお部屋に合い過ぎっていうのが 曲者です。

少し遊びか必要なのです。それが熟すの極意です。

お洋服なら貴方のお気に入りのカラーに プリント柄のスカーフや派手なイヤリング。またはいつもは履かないピンヒールのそれも赤のサンダル!

絨毯の場合もリビングサイズは好みのベージュをベースにして、ミニサイズや玄関サイズで遊び心一杯の 赤や緑、黄色にコバルトブルーのラグをそのベージュのリビングサイズの上にさりげなく敷いてみて下さい。

きっと、貴方らしさの演出の空間が表現でき、位置を変え、季節に合わせ、彩光を考慮しているうちに お手元の絨毯を敷きこなし、癒しのスペースは貴方だけのものになっていくものです。

絨毯を敷きこなす 絨毯を愛する  

人を愛するように、静物である絨毯をこよなく愛する 人がいる。私自身以前はその一人でした。 幾枚も幾枚も、まるで千夜一夜のように毎夜繰り返される物語を語るシャハラザードの語りのように。

新しい絨毯の出会いはその語りに耳を傾け愛でる事の至福の時。

人知れず自己満足の極みの中で贅沢な時を過ごす時。 それは気が付けば一掬の幸せの瞬間。

滑らかで滑らかなシルク絨毯。

絹糸の高邁な静寂と 冷たさが私にはとても寂しく、 そしてだからこそ 豪華絢爛な存在は私から遠ざかる故に憧れる逸品。

シルク絨毯は憧れの存在のままにして、そして部族 絨毯との出会いへ。  

絨毯を愛する 瞬間。  

部族絨毯との出会いは、とある絨毯店の床にボロッとした風情で敷かれていました。 綺麗ではないけれど何故か魅力的。何かに惹かれる時は理由などいりません。 何か。その何か。の出会いでした。

その絨毯はカシュガイ族の手織り絨毯だと後で知りましたが、 私にとってはどこの産地の何々織りというこだわりは無く ブランド的な価値や基準は特に重要ではない、、 その何か。でした。

この何か。自分自身にとって何かを感じる事がワクワクして楽しくて、 日々の生活に重要なスパイスとなります。

高級ペルシャシルク絨毯の数万ノットの織りの細かさにこだわる事などを別として、 心惹かれるものを大切にしたいと思います。

絨毯だけではなく身の回りの事物に惹かれ、引き寄せたものがあると充実感を得られます。

その小道具たちは品質ではなくイメージが好き、雰囲気がいいとか思い入れを大事にする事で、あれもこれもとバラツキのあるインテリアになってしまい、バランスを崩す事になる事もあります。

でも、時としてそれこそが自分らしく、 または貴方らしいテイスト表現になるかもしれません。

絨毯大好きという方は、あれも好き。

これもいいと惹かれてしまって困っている とのお話をよく聞きます。

ギャッベ、ペルシャシルク絨毯、部族絨毯、遊牧キリム、 アフガン絨毯、パキスタン、トルコ、チャイナ、そしてインド。

きりがありませんが、 心惹かれる絨毯はそれぞれの国の文化、文様、技術、 織り手の心意気が万華鏡の様に美しく輝き合うので、惹かれてしまうのは 当然です。各国の誇りを持ち合わせ、織っているのですから。

それぞれの国のテイストもイメージもサイズも違う絨毯を敷き詰めてみると 不思議としっくりくるのは魔法の絨毯のなせる業とでも言うべきでしょうか?

お買い求め下さる、お客様も絨毯通が多く扱いも手慣れた方が多くいらっしゃいます。

私の出る幕やアドバイスなんて 必要ない方が殆どです。皆様、ご自身の生活空間に合わせて楽しんでいらっしゃいます。 でも時にお店にはこんなお客様がいらっしゃいます。この絨毯欲しいけれど、沢山敷いているので、 これ以上もう敷く空間が無いのよ。使わなければ勿体ないしね。と。

そこでご提案。今敷いてある絨毯の上に無造作に斜めに敷いてみてください!! あぁ、それでもいいの?

えぇ。意外としっくり似合っちゃいますよ。 数日後、お客様が再度ご来店。 この前のアドバイス、良かったです!!

何故かしっくりと憩いの場に変身しました! とお客様の一声でした。

絨毯ファンは絨毯の奥深い世界に魅了され新しい出会いを心待ちにしています。 皆さんは産地や目の詰まり、商品の品質やブランドとしての価値だけではなく心に響く 何か感じるものを探しています。本物を見る目が養われた結果なのだと思います。 何か感じるもの。大事ですね。